Interop Tokyo 2020が開催中止、新型コロナウイルスの影響で 記事元:クラウドWatch 2月27日
Interop Tokyo 実行委員会は27日、4月13日~15日に幕張メッセにて開催される予定だったネットワーク関連イベント「Interop Tokyo 2020」の開催中止を発表した。なお、Interop Tokyo 2020に加えて、併催予定だった「Connected Media Tokyo 2020」「デジタルサイネージジャパン 2020」「ロケーションビジネスジャパン 2020」「APPS JAPAN 2020」も中止となった。
ということで、業界最大のイベント「デジタルサイネージジャパン」、今年は例年より早い4月開催予定だったが、2月末に中止が決定された。3日間で併催イベント含めて来場者見込み15万、さまざまな業種・職種の人たちが集結して行う準備運営、参加社来場者の全国からの移動宿泊、デジタルサイネージ周辺の今後の方向性が比較的出し惜しみなく誇張しすぎず開示される展示やセミナー、などの活動が、いやおうなくとんだことになる。
物理的にも情報流通的にも世界の距離が縮んでいる今日、イベント開催の感染症対策は今後、違う難しさのフェーズに突入すると思われるので、そのこと自体も考察すべきテーマかもしれないが、その前にデジタルサイネージの持つ意味あるいは意義の一部について考えてみたい。
比較的広義の役割として、パブリックビューイングやテレカンなど、物理的に遠い場所にいる人や物をつないで、体験価値を作るということがある。この点は技術的にはかなり進化してきているが、いまひとつ「いざというとき、今すぐ、ほんとに、頼りになる」という感じになりきっていない。これはルールやコンテンツ内容の問題だけでなく、そもそも人は何をしたいのかという視点が足りないからかもしれない。デジタルサイネージ業界は、この際そういう領域にぐっと踏み込むチャンスではないだろうか。
もう少しわかりやすい役割としては、広告にしても情報発信にしても、「そこにいる人」に主体的に語りかけること、がある。一定の場所に設置されているデジタルサイネージは、本来設置者の責任や考えのもと「そこにいる人」に送るべきものを送ることができる。だから、人々が不安になっているときこそ、正しい情報や楽しいコンテンツを配信するメディアとして機能できるはずなのだ。そのためには、日頃からその場所で信頼と経済活動を両立させておかなければならない。「いつもそこにある」、だからこそ信頼できるメディアとしてのデジタルサイネージの強みを真剣に考えるべきときかなと思う。
思い起こせば2011年の今頃、デジタルサイネージは電気を食う媒体として、しばらく電源を入れられない日々が続いた。あのとき、「デジタルサイネージにはそもそも役割がある、こんなときにも電源を入れたい!と思われるようにならなければ」と思った(人もいる)ことを、忘れないようにしよう。筆者は今回、多くの医療者の方々が「怒りたいことも嘆きたいこともあるけれど、自分たちは自分たちのやるべきことを粛々とやらなければ」と仕事に取り組んでいる様子を目撃する機会が多々あり、プロとしての専門性と使命の自覚はどの業界でも大事なことのはずだとあらためて思ったのである。(Y.K.)